ミュージシャンが見ていた“東京”の違い〜バンド編~
現代に至るまで、数多のミュージシャンたちが、「東京」という名の曲をリリースしている。それらは同じタイトルでありながらも、時期や季節、流行などの様々な要因により、中身が全く異なる作品となっている。
そこで今回は、複数のミュージシャンの「東京」を取り上げたうえで、「彼らが見ていた”東京”の違いは?」について考察してみようと思う。
- くるりの”東京”は手段であり障壁
- きのこ帝国の”東京”は決別の場所
- 踊ってばかりの国の”東京”はディストピアの地
- plentyの”東京”は孤独で窮屈な行き場のない理想
- バンドによってそれぞれの”東京”への想いがある
くるりの”東京”は手段であり障壁
くるりは、京都府出身の3人組ロックバンド。1998年、ビクターエンタテインメントからメジャーデビューするに際して、1stシングル”東京”をリリースした。
くるりがデビューした90年代は空前のバンドブームであり、本人たちが成功するには上京して東京での活動が必須となる。そこで、くるりは東京を”成功の手段”として見ていたのではないかと考える。
しかし、その反面、”東京”を作詞したくるりのボーカル岸田繁さんは、東京を手段ではないものとしてとらえていたのではないかとも思える。
くるりの「東京」の冒頭、こんな詞がある。
恥ずかしい事ないように見えますか駅でたまに昔の君が懐かしくなります
上京しても東京の雰囲気になじめず、思いを寄せている人を懐かしんでいる様子の一節。
「バンドで成功したい」といった強い思いだけでなく、「東京の空気になじめない」「思いを寄せている人とも簡単に会えない」といった障壁があったと感じさせる詞に思える。
なお、この「東京」の詞は、終始ですます調で書かれており、誰かへの手紙のような文章にも読める。
障壁を乗り越えるための方法。思い人へのメッセージとして、くるりの「東京」は生まれたのかもしれない。
きのこ帝国の”東京”は決別の場所
きのこ帝国は、東京都出身の4人組ロックバンド。
2014年に、シングル「東京」が特定のCDショップにて限定販売された。その後、リリースされた2ndアルバム「フェイクワールドワンダーランド」の1曲目に「東京」が収録されている。
きのこ帝国の「東京」では、思い人に対する主人公の心情が描かれている。
それは、単純なものではなく、恋心がゆえの複雑に揺れる感情。曲中にある、「不安」「馬鹿げている」といったワードからも、主人公の葛藤する姿が垣間見える。
揺れるからこそなのか、「東京」は次の詞で締められている。
踊ってばかりの国の”東京”はディストピアの地
踊ってばかりの国は、兵庫県出身の5人組ロックバンド。2014年にリリースされた3rdアルバム「踊ってばかりの国」の2曲目に「東京」が収録されている。
「東京」の詞には、ディストピアを想起させるフレーズがちりばめられている。
ディストピアとは、理想郷を意味するユートピアの対義語。和訳すれば、反理想郷、暗黒世界となる。
持論ではあるが、本来、人間同士に優劣はなく、一人ひとりかけがえのない存在であるはずだ。しかし、この曲で描かれる”東京”は、社会的な立場が要因で、ひとりの人生を左右するほどの優劣が生まれている。
「本当にこの世の中は正しいのか?」「このままで良いのだろうか?」
踊ってばかりの国の「東京」には、これらの問題提起の意が含まれているのではないだろうか。
plentyの”東京”は孤独で窮屈な行き場のない理想
見えなくなった 言えなくなった逃げたくなった こわくなったかなプラス思考 それが流行り社会の役に立て そんな言葉背負って埃臭いバスに揺られ 気づかないように溜め息をついた引用:plenty「東京」 作詞 江沼郁弥
バンドによってそれぞれの”東京”への想いがある
くるり、きのこ帝国、踊ってばかりの国、plenty。4つのバンドの「東京」を取り上げたが、それぞれが見ている東京は異なるものであった。
それは、”東京”に対する想いが似て非なるものであるからだろう。